振り返れば、ほとんどが光の中にあるバンクーバーでの生活でしたが、時には深い暗い森の中を歩いているように感じるときもありました。
Back music ♪ 白日 by King Gnu
初めてバンクーバーに降り立った、2年前の7月。空は抜けるような青空でした。しかし、3日ほど経つと。ホームステイ先でも、語学学校でも、1日中英語だけを聞き話すことに、その時点での限界と疲れを感じました。そんなある日、学校で2人の日本人と出会いました。
校内で、英語以外の言語を話すのは禁止されているので(母国語を話すとレッドカードを1枚渡されます。3枚渡されると、退学)
学校終わりには、3人で気兼ねなく日本語で話し、のんびりし、食事を楽しむことが増えていきました。
深い話をしてみると(海外では開放的な気分になるので、通常より早く打ち解けることができました)、お互いに、家族を失った悲しみだったり、仕事で上手くいかなかったことだったりと、抱えていたものが同じであったことがわかりました。それまで孤独に耐えて思いを吐き出せなかったことが、同世代にはなかなか共感を得られなかったことが、やっと分かちあえた。この友人を得られたことの嬉しさと感動、、、それはとてもとても大きなものでした。

こちらは、学校から歩いて10分ほどで着く、海のように見えるバンクーバー港(Vancouver Harbour)を身近に感じられるCanada Placeです。
しかし。バンクーバーでの生活が慣れてくると、私は新しく学んだ英語を使って、海外のクラスメイトともっとお話しをしたいと思うようになりました。
一方で、彼女達は、バンクーバーやホームステイ先への不満をよく話すようになり、帰国も視野に入れていると言い初めました。
私は、彼女達の苦しみの話を聞いたり、解決策を提案したり、なんとか彼女達が前向きになる方法をいろいろ模索しました。
しかし、彼女達の様子は一向に変わりません。それどころか、行動も考え方も、私からすると悪化する一方というか、、、
(私は、物事を善悪で判断すると苦しくなるということを学びました。だから、これは、自分と大きく違う部分に気づいたときだったと捉えることにします)
そんなある日、事件が起きました。
レベルアップをかけた試験の2日前に、飲み会をしようと2人が話を持ちかけてきたのです。自分達は、もう試験の結果などどうでもいいからと、、、
私は、断りました。自分は試験にしっかり準備をして望みたいからと。また、休みの日も放課後も、新しくできた海外の友人と過ごしたいという気持ちも抑えきれなくなっていました。
そんな私に、2人は呆れ激怒し、中傷する言葉や冷たい態度を見せるようになりました。
私はもう耐えられなくなって連絡を取ることを止めました。また、彼女達も、私と学校ですれ違うことがあっても、挨拶をすることはしなくなりました。
1人は、多分本当に早めに帰国したと思います。もう1人は、彼女は彼女で新しい友人を増やしていました。
結構、いやな思い出です😅
ただ、このことがあったから、『この方は、私とは違うものの考え方をする。そして、相手の気持ちを尊重するという考えはなく、個人の意見を私に強要又は求めてくる』と感じた時は、すーーーっと距離をとり、離れることができるようになりました。
要は、愛を感じるか感じないかということだと思うのですが。
もう、こんな思いはしたくないし、
情で関わり続けても、彼らを否定することになるし、
彼らは彼らで新しい友人や環境はいくらでも手にすることができるとわかったから。
一度深い部分で共通点を得てしまうと離れがたいのかも。
ただ、その思いに引きずられ、大事な部分で全く異なる考えや行動をする人達と、ずるずると関係を持つことは、、、お互いのためにならない。
そんなことを学んだ、バンクーバーの苦み含む夏でした

でも、安心してください♪
時間は多少かかったけど、自分の気持ちを開放し、貪欲に学び、勇気を出して新しいクラスに飛びこんだ結果、一緒にいてワクワクし支え合える友人達にたくさん出逢えましたから^^
新しい一歩を踏み出す私たちに、手を差し出す人達は必ずいますからね♪
楽しみにしていてください♪
P.S 写真は、父が新潟のお煎餅を空輸で送ってくれたのを、クラスメイトにお配りさせていただいたときのものです♪(空輸😲😵なんと贅沢な furesh rice cookie ❗️)
父上の愛情を感じつつ。お煎餅は日本人の心に染みる味✨そして、アジアだけ出なく、南米の方からも Good ☺️✨ をいただきましたよーーー💖